これまでの歴史とこれからtop

 当社は平成6年に創業した工芸品製造販売業です。 当社前身の株式会社三幸商会(以下、三幸とします)は、当社代表の父親である俵勇三(塑童)が設立した工芸品製造販売業です。 当社は三幸が発展的に解消した後に設立されました。 そのため、三幸の歴史は当社の歴史に深く関わっております。

 ここでは、これまでの歴史を振り返るとともに、今後の一秀庵についても記述します。(平成23年1月現在の内容です。)

三幸設立前

 戦時中九州の炭鉱で働いていた勇三は、大阪と金沢でかき餅屋に就業しましたが、昭和25年頃、二代目晃山の誘いによりこけしの製造に携わるようになりました。
 当時加賀人形の販売は僅かなもので、こけしに付随して販売されておりました。

 昭和27年当社代表の一眞が生まれました。 一眞は幼少の頃から職人が集まる大橋家に預けられ、加賀人形や工芸品に触れておりました。 高校を卒業すると一年間中島めんやで販売の修行をし、その後本格的に職人としての道を歩み始めました。

 高度成長期(昭和30~45年)になると国内旅行者が増加し、加賀人形の販売数も徐々に伸びはじめました。 昭和45年に旧国鉄が始めた個人旅行客の増加を目的としたキャンペーンに伴い加賀人形の販売数が急激に増加、製造する職人も増えました。
 加賀人形が大量生産されるようになると、勇三は「職人は作家であるべき。 大量生産ではなく、芸術品として造るべきである。」というかねてから抱いていた思いが強くなりました。 勇三は自らの信念を貫くために雅号を塑童とし、一部の仲間とともに昭和47年に三幸を設立しました。

三幸設立後

 三幸設立後、有限会社かきもち丸山(小松市)の方からの紹介により、関東石川県人会(現在の石川県人会)が主催する物産展に出展することとなりました。 この物産展を契機として加賀人形の新たな販売ルートが開拓されました。 物産展での販売は当初塑童が担当しておりましたが、直に一眞に交代しました。 一眞はこの頃から製造と販売の二足のわらじを履き始めました。

 昭和60年代に入ると、加賀人形の販売数が減少しはじめました。 また、加賀人形に対するクレームが増加しはじめました。 クレームの内容は人形の顎やお尻にひび割れが生じることです。 ひび割れの原因は乾燥です。 地域によっては北陸地方より湿気が少ない気候となっております。 また、百貨店の店舗内は空調が整えられており乾燥します。 三幸は百貨店での加賀人形の販売を止め、金沢市長町にある自社店舗のみで販売することとしました。
 この頃からひで子が独自の作品を造るために古布人形の研究をはじめました。 ひで子は、自ら納得する古布求めて各地を回り、懐古洞(岐阜県高山市)やギャラリーかわの(福岡県柳川市)にたどり着き、良い古布に巡り合うことができました。
 古布人形を造る過程で生じる切れ端を有効利用するために押し絵も造りはじめました。 古布人形の固定客が増えひで子が多忙となり、押し絵の造り手は別の職人に代わりました。

 平成に入った頃、独自の一品モノを造るために、押し絵を貼りつける特徴的なモノを探しました。 そこで目を付けたのが岩本清商店の桐廃材であり、その後商売上欠くことができないパートナーとなりました。

一秀庵創業後~現在

 平成6年、世代交代を期に塑童の長男である一眞が代表取締役となり株式会社一秀庵が設立されました。 一秀庵の由来は、一眞の「一」とひで子の「秀」の字です。
 加賀人形の販売数は低迷しておりましたが、古布人形や押し絵は人気作品となっておりました。

 古布人形や押し絵の販売数が増加している状況でも、一眞は次の商材を探しておりました。 そんな中出会ったのが桐箪笥です。 とある物産展で桐箪笥を見つけた一眞はその商品に惚れ込み、販売者に製造メーカーを訪ねましたが教えてもらえませんでした。 どうしても製造メーカーを知りたかった一眞はその桐箪笥を購入し、手掛かりを探すこととしました。 後日、一眞のもとに送られてきた桐箪笥に、製造元が記された紙が入っておりました。 駿府家具職人の工場です。 一眞はその製造元に連絡をとり、取引が始まりました。

 平成15年頃、押し絵職人が退職、その後10年間に6名の方が押し絵職人として出入りし、遂に平成21年、待ちに待った人材が入社しました。

今後

 リーマンショック以降販売数は減少しましたが、現在は回復傾向にあります。 最近のお客様の購買行動は他にはない一品モノで自ら気に入ったものを買い求める傾向が強くなっております。 その要望に応えるためにも、当社は究極の一品モノを造りお客様の満足感という価値を高めることをお約束します。
 具体的には、ひで子の目利き力をはじめとする、他の職人の日本文化の美的センス等を高めて、古布人形や古布木目込み人形、押し絵の価値を高めます。 また、古布や桐の廃材、桐箪笥等の仕入先との関係を深め、良質な材料を提供していただくようにします。